宝塚歌劇花組公演「カサノヴァ」とヴェネツィア

時に1755年。舞台はイタリア・ヴェネツィア。物語の主人公、ジャコモ・カサノヴァはヴェネツィアの風紀を乱した罪で懲役626年を言い渡され、投獄されます。

宝塚歌劇花組公演「カサノヴァ」とヴェネツィア
宝塚歌劇花組公演「カサノヴァ」とヴェネツィア

ドゥカーレ宮殿と牢獄

公演でのカサノヴァは脱獄不可能とされた鉛屋根の牢獄を脱獄し、カーニヴァルのヴェネツィアを逃げ回ります。そしてヒロイン・ベアトリーチェを心配した総督(ドゥージェ)はこう言います。「宮殿と監獄はつながっている…」。まずはここから話を始めていきましょう。

「カサノヴァ」の舞台の一つ、ドゥカーレ宮殿はヴェネツィアを代表する建物の一つ。かつてのヴェネツィア共和国の政治の中心の場でした。宮殿の中には市民も入ることができたようですが、貴族と市民が入ることができたエリアが違っていて、はっきりと装飾でわかるようになっています。そしてドゥカーレ宮殿といえば、世界最大ともいわれるフレスコ画ですが、写真撮影は禁止されています。「カサノヴァ」では終盤、ドゥカーレ宮殿の中庭でオペラが公演されますが、それほど広くはない様子。

ドゥカーレ宮殿と牢獄にかかるため息橋
ドゥカーレ宮殿と牢獄にかかるため息橋

ドゥカーレ宮殿の運河をまたいだ対岸が牢獄です。ここにかかる橋は「ため息橋」と呼ばれています。牢獄へ向かう囚人が、最後にヴェネツィアを望める場所がこの橋で、二度と出ることができな悲しみのため息をついたことが由来です。この牢獄はため息橋がかかる頃には、短期系の囚人のものだったようで、実際にカサノヴァが投獄されていたのは別の牢獄だったようです。

ため息橋から見たヴェネツィア…ほとんど見えない
ため息橋から見たヴェネツィア…ほとんど見えない

 

実際、カサノヴァは投獄から5年後に脱獄し、サン・マルコ広場のカフェで優雅にコーヒーを楽しんでいたとか。そんなエピソードも含めて、公演では数々の女性たちが逃亡を助け、それが逆に混乱を招いたという描かれ方をしたのかもしれませんね。

牢獄も今はツアーで見学できます
牢獄も今はツアーで見学できます

象徴となっているライオン像

左が翼の生えたライオン像、右が聖マルコ像
左が翼の生えたライオン像、右が聖マルコ像

ドゥカーレ宮殿とマルチャーノ図書館との間には、ヴェネツィアに到着したベアトリーチェの歌にもなっている、翼の生えたライオン像があります。今でも聖マルコ像とともに船で到着する観光客を出迎えています。

 

現在、ヴェネツィア本島と本土を結んでいる鉄道は1861年に開業。隣を走るリベルタ橋は1933年に開通しているので、18世紀は船でしかヴェネツィア本島に行けませんでした。しかしながら、カサノヴァら4人を乗せた馬車がどこを走っていたのか、なんて野暮な質問はしないでくださいね。

サン・マルコ広場にあるサン・マルコ時計塔にも翼の生えたライオン像が
サン・マルコ広場にあるサン・マルコ時計塔にも翼の生えたライオン像が

ライオン像はヴェネツィア本島のあちこちにありますが、一般的にはサン・マルコ広場のドゥカーレ宮殿横の像が有名です。

リアルト橋とゴンドリエーレ

リアルト橋は観光客でいつもごった返してます
リアルト橋は観光客でいつもごった返してます

ゴンドリエーレに変装したカサノヴァがベアトリーチェに語りかける「あなた自身の気持ち」。ヴェネツィアといえばゴンドラとゴンドリエーレ、そしてリアルト橋です。

公演での衣装とは違いますが、現在のゴンドリエーレはエミリア・チェッカートのボーダーで有名です。ヴェネツィア本島での移動手段は徒歩か船ですが、ツアーで訪れると必ず乗ることになるゴンドラ。コースによってはドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶため息橋の下を通ることもできます。恋人同士でため息橋の下に行くと結ばれる、なんて都市伝説もあるそうです。

ゴンドラでなくてもほとんどの船が通過することになるのがリアルト橋です。ヴェネツィアといえばリアルト橋が頭に浮かぶ人も多いはずです。

リアルト橋はヴェネツィア本島を流れるカナル・グランデにかかるもっとも有名な橋。ヴェネツィア本島は自転車であろうとも車という車は走ることができず、騒音対策のためにスーツケースの車輪すらもはばかられるところなので、リアルト橋は人しか通れません。橋にはお土産を売る店舗もあって、いつも賑やかです。

公演でのキーパーソン・モーツァルト

公演ではキーパーソンとなるモーツァルトですが、実際に父親との旅行で3回イタリアを訪れています。3回目が17歳の頃のことのようなので、カジノで所持金を失う、といったことがあったかどうかはわかりません。

実際にカサノヴァもモデルになったとされる「ドン・ジョヴァンニ」は、作曲されたのが1786年10月のことで、ヴェネツィアで作曲されたものではありません。「ドン・ジョヴァンニ」の初演は翌1787年で、カサノヴァも列席していました。

カサノヴァはどうなった?

公演では626年の罪を償うためにヴェネツィアを出ることにになりましたが、実際のところその後はどうなったのでしょうか。

サン・マルコ広場には今もカサノヴァが脱獄後にくつろいでいたとされるカフェが営業中
サン・マルコ広場には今もカサノヴァが脱獄後にくつろいでいたとされるカフェが営業中

鉛屋根の監獄を脱出したカサノヴァはパリに逃亡し、名前を変えながらヨーロッパ諸国を歩き回ります。その先々でスキャンダラスなことで国外追放にされたりしながら、それでもヴェネツィアへの帰国を許されています。それはカサノヴァのスパイ行為によって、各国政府の機密情報がヴェネツィアに流れていたからでした。

さて、宝塚歌劇花組公演「カサノヴァ」は娘役トップの仙名彩世さんの退団公演となりましたが、宝塚大劇場の公演後にトップスター・明日海りおさんの次回公演での退団も発表されました。

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