江戸時代の日本でよくあった子供を協同で育てるとはどういうことか

NHKで放送している「にほんごのおなまえっ」という番組の中で、「村田」という姓のいわれについて紹介されていました。その説を聞いて、江戸時代の長屋でよくあったという、子供を協同で育てていたということを思い出しました。

江戸時代の日本でよくあった子供を協同で育てるとはどういうことか
江戸時代の日本でよくあった子供を協同で育てるとはどういうことか

番組によると、「村田」とはもともと村の共有の田んぼを管理していた人のだそう。両親を亡くした子供のために村内のご近所さんがみんなで田を耕し、子供が成長したら田を子供に返すということもあったそう。これだけ聞くととても「いい話」です。

これがいつの時代のことかはわからないのですが、村の成立は「本能寺の変」よりよっぽど大きな出来事、というトークがあったことからも、戦国時代から江戸時代のこととして考えたいです。

江戸時代は八代将軍吉宗の享保年間あたりまでは男女比が3:1ぐらいだったそうです。1:1になるのは幕末の頃だそうで、戦国期には男7、女3だったともいわれています。

さて、江戸といえば時代劇などでも井戸端会議とか長屋暮らしとかがよく出てきます。その長屋もピンからキリまであったそうで、広さや間取りのほかに壁の厚さ、というよりもいかにプライバシーが守られるかで家賃が決まっていたそう。多くを占める低所得者層の住む裏長屋では、壁は板一枚で音や声は筒抜け。そこに独身の男か夫婦で暮らしていました。

男女比が3:1ということですから、かなり女性が少ない状況です。しかも裏長屋の住人は「雨が降ったら仕事がない」という人たちばかり。当然収入も少ないです。そんなところでも貧乏覚悟の女性を迎え、長屋の家主に認められればご近所にささやかな披露目をして夫婦になります。

裏長屋に住む人相手ではいつ支払われるかわかりませんので、米や調味料を買うときには後払いなどというものはしてくれません。クレジットカードが作られないのと同じですね。ですから足りないものは借りることになります。そんなとき頼りになるのは近所だけ。落語でも隣からなにかを借りてくる描写がありますよね。

こういった貸し借りに利子などは付きませんが、当然何かで返すことになります。女性が少ない当時の裏長屋では、女性は共有資産みたいなところがあって、貸した側の男が借りた側の男の妻を「借りる」ということがよくあったそうです。今では考えられませんが。

そこで何が起こるかというと、子供ができます。

子供ができると、「父親は誰だ?」ということになりますので、身に覚えのある男がみんなで子供を育てます。子供は複数の優しいおじさん、あるいはおじいさんに育てられながら成長していくのです。「いい話」ですね。

村の話に戻すと、実際村でもこういうことがあったのではないかと想像してしまいます。

当時の村がどこの領主にも属さずに独立しているということはないはずで、領主や寺社、神社に作物を上納していたはずです。村々が必ずしも裕福であったわけではなく、気候によって収入が左右されました。そうなると、ここでいう村の田を管理する「村田」が裏長屋の大家さんで、田を耕す百姓が裏長屋の住人とおきかえることもできるはずです。

であれば、両親がいなくなった子を「身に覚えのある男」が共同で田を耕し、子を育てていてもおかしくないのではないでしょうか。

ひとつ、江戸との違いがあるとすると、江戸ほど男女の人口差がないということでしょうか。そうなると、裏長屋とは違ったかもしれません。

いずれにしても、江戸時代は今と違いすぎる部分もある、ということでしょうね。

そういえば、経験はないのですが「作りすぎたのでどうぞ」というものも、本当はこわいことなのかもしれません。隣近所の人が何かを借りに来たり、おすそ分けをくれたりすることには注意するべきなのでしょうか。

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