日本の歴史の時代区分は明治・大正・昭和時代で良いのか?

2015年9月17日

歴史は新しい資料が出てくると教科書の内容でさえも変わります。
でもここしばらく変わっていないのが「時代区分」。
鎌倉時代とか江戸時代とかのアレです。

magatama
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大学生に至るまで何の疑問もなく学んできたこの時代区分について、おかしいと感じ始めたのは幕末の本を読むようになってからです。
確かに「明治維新」というのは日本の歴史において、大きな転換点だったと思います。
でも、だからといって時代区分もここで変わる理由はないと思うのです。

まず、時代区分についてみておきましょう。
この話題は本州・四国・九州をもとにしています、あしからず。

旧石器、縄文、弥生、古墳の各時代は土器や古墳といった、ある意味での文化を示していますが、これは政治の中心がどこかわからないからと考えられます。
古墳時代にヤマト王権が強化されていき、統一国家の様相を色濃くしてきました。
その関係もあって、次の時代が「飛鳥時代」となり、政治の中心となった場所を示すようになります。

平城京に政権があったのに奈良時代では平安時代とのバランスが取れないようにも思えます。
でもここは「平城」と書いて「なら」と読みますし、京都はこのあと室町時代もあるので、大目に見てあげてください。

一方で遷都が繰り返された関係で、奈良時代なのに都は滋賀とか大阪、平安時代なのに兵庫、ということもあります。
これは一時的、ごく短期間の遷都だったので、わざわざ「時代」とするほどでもないでしょう。

鎌倉時代からは天皇がいる場所と時代区分の名称が変わります。
征夷大将軍の性質上、全国統治を任されたということで、政治の中心が鎌倉に移ったということなので、異論はありません。

個人的には大坂城があったのに「安土桃山時代」とは何事か、と思いますが、響きが美しいのでそのままで良いです。
安土大坂時代とすべき、という意見もあるそうですが。

さて、問題の明治以降です。
江戸時代末期に大政奉還によって、征夷大将軍から天皇に政権が移りました。
その後、王政復古の大号令によって事実上江戸時代は終わりました。
主流は江戸城が明け渡されて元号が明治になったところから「明治時代」が始まるのです。

なぜ問題なのか、というと、飛鳥時代以降、政治の中心地とした時代区分が、突如元号に変わるのです。
こんな違和感はありません。
大学のときに気が付いて、ひたすら追求すればよかったと悔やむばかり。
ちなみに法学部だったので、そんなことをしても変人扱いされるだけだったんでしょうが。

明治以降は「東京時代」というべきなんではないのか、と。
いや、もしかしたら現在進行形の時期を時代というものではなく、首都そのもの、もしくは首都機能が移転したら、「東京時代」になるのではないのか。

そういったこともあって、調べてみましたよ。
案の定、ネットではなかなかそういうことを考える人が少ないのか苦労しました。
たどりついたのは「あの知恵袋」だったわけです。

以下は答えの部分の抜粋です。

現在使われている時代区分は、明治以降に近代歴史学が確立されてから創案されたもので、つまり明治以降の人の視点で作られています。この区分は主として政治の中心地がどこにあったかで分けられていますが、明治以降はずっと東京なので、現代に至るまで区別できません。新しい時代ほど細かく分けないと不都合が多いにも関わらず、そうなってしまうのでは困るということで、実質的な「東京時代」は元号で区分するという手法を採っているのです。どちらかというと、政治の中心地が東京以外のどこかへ遷るまでの暫定的な区分法ということになるかもしれませんね。

ちなみに、江戸時代以前の人々も主に元号で時代を認識しており、当然のことながら「今は江戸時代だ」とか「室町時代だ」などと思っていたわけではありません。また、質問者さんが最後に挙げられているような区分法は、時代の特徴によって分けるという考え方になるかと思いますが、これだと過去の平安時代や江戸時代でも同じような区別が必要になってしまい(同じ時代に見えますが、意外と歴史の様相が違うのです)、混乱を招きかねないので、現状しか方法がないということになりますね。

参考:日本史の時代区分について-Yahoo!知恵袋

納得です。
すばらしいですね。
僕が生きている間に日本史の年表に「東京時代」が明記される日が来るのでしょうか。

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