「MESSIAH(メサイア)/Beautiful Garden」(宝塚歌劇花組公演)を観てきました【予習・復習に】
宝塚歌劇花組公演の「MESSIAH(メサイア)/Beautiful Garden百花繚乱」を観てきました。島原の乱をあまり知らない方の予習・復習になれば幸いです。
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島原の乱
島原の乱は江戸時代前期(三代将軍・家光)に、島原と天草を中心に圧政やキリスト教弾圧に苦しむ領民が中心となって起こした一揆。史上最大の一揆ともいわれる。
規模が大きく、1つの藩だけに治まりきらなかったことや、大坂の陣から期間が空いたことで平和ボケしていたこともあり、江戸幕府の予想以上に鎮圧に期間がかかった。
また江戸時代には藩を越えて兵を動かすことができなかった。このため、島原藩は天草へ移動した一揆軍に手が出せず、江戸幕府の動員でようやく九州の他の藩も鎮圧に参加できた。それでも足並みはそろわず戦功争いの後、幕府が派遣した総大将が戦死してしまい、急遽、戦後処理に向かっていた松平信綱が指揮を取るハプニングも起きた。
公演では天草四郎こと益田四郎時貞が領民を扇動し指導者となっているが、どうやら天草四郎の父・益田甚兵衛ら、元小西行長の家臣らが天草四郎を指導者に仕立て上げた可能性があるらしい。
一揆軍には歴戦の兵士も多く、幕府軍の事情もあり一揆軍が立てこもる原城はなかなか落ちなかった。しかしながら最後には幕府軍の包囲網と総攻撃の前に2万7千人(実際には1万6千人ぐらい)は全滅。山田右衛門作が唯一の生き残りといわれている。
こぼれ話
- 島原の乱発生当時、小笠原藩にいた宮本武蔵も従軍している。しかしまともに戦うことなく、スネに岩が当たったとかなんとかで動けなくなったという。
- 細川家に雇われていた忍者達は戦場に出たものの、降り注ぐ銃弾に恐れをなして銃弾を防ぐ竹束の後ろから進めなかった。このため島原の乱のあと、全員解雇された。
- 一揆軍の元主君で元キリシタンである有馬某は、地理に詳しいということで幕府軍に加えられている。一揆軍には恨みもない元主君と戦うことになった者もいただろう。
- 島原の乱には戦国後期最強と言っても過言ではない立花宗茂も参戦している。彼は松平信綱の持久戦を支持した。
主な人物(ネタバレあり)
※ここからはネタバレが含まれます。
天草四郎・益田四郎時貞(明日海りお)
島原の乱の一揆軍総大将。記録によると益田甚兵衛の子として生まれ、幼少から数々の奇跡を起こしたとされる。詳しい出自はよくわからないため、後付けの可能性が高い。島原の乱が起こったときはまだ10代だったので、父・益田甚兵衛らに担がれただけと思われる。
公演では、元倭寇の頭目で夜叉王丸と名乗っていたが、嵐で船が転覆し天草に流れ着く。そこで益田甚兵衛らと出会い、交流の末、領民たちの中心となり島原の乱を起こす。
倭寇
古くは鎌倉時代頃から中国南部やフィリピン、ベトナムなどに出没した海の商人。初期は日本人が中心だったため倭寇と呼ばれた。
時々沿岸部で略奪などをしたため海賊と思われがちだが、バイキングなどと同じく暴力的になるのは取引の約束が破られたときなどのみ。普段は普通の商人。
戦国時代には九州の大名が後ろ盾となっていたが、江戸時代には幕府の統制により勢力は小さくなり、中国人が中心になっていった。
「倭寇」は中国・朝鮮半島側の蔑称であることから、公演でも時々使われる「海羅鬼(かいらぎ)」の方がふさわしいように思える。
山田右衛門作(柚香光)
島原藩に仕えた絵師で、島原の乱の一揆軍の副将。原城に立てこもった一揆軍で唯一の生き残りとされる。
幕府軍と内通しており、矢文でやり取りしていたが発覚して牢屋に入れられた。原城落城のときに幕府軍に連行されて、事情聴取した内容が原城内部のことがわかる資料として残る。
公演では四代将軍・家綱(聖乃あすか)に呼び出されて島原の乱の語り手として過去を振り返る体裁で物語が始まる。
鬼が住むとうわさされる島に住み、流雨(仙名彩世)をモデルに聖母マリアを描いていた。洗礼名の「リノ」と呼ばれることが多い。島原の乱が起こると一揆軍に加わり、幕府軍との交渉役になる。
松平信綱(水美舞斗)
江戸時代初期の老中で、様々な功績を残しており伊豆守であったことから「知恵伊豆」として有名。島原の乱では戦後処理のために九州に向かう途中に、幕府軍の総大将・板倉重昌が戦死したことで総大将となる。オランダ商船に原城を砲撃させたり、トンネルを掘ったり様々な策を弄する。
幕府軍の被害を最小限にするため、原城を包囲し持久戦に持ち込んだ。しかし一部の隊の抜け駆けで総攻撃をすることになり、原城の一揆軍は全滅。幕府軍も大きな被害を出した。戦後処理では、乱の直接の原因となった松倉勝家(鳳月杏)を斬首にし、鈴木重成(綺城ひか理)を天草代官とした。
鈴木重成(綺城ひか理)
松平信綱とともに島原の乱の鎮圧にあたり、乱のあとには初代天草代官となる。過剰に盛られた石高を4万石に戻し領民の支持を得た一方、キリシタンの改宗にも力を入れた。石高を戻したことで天草に鈴木神社が建てられた。
公演では、山田右衛門作が描いた聖母マリアの絵を回収し将軍家綱に渡すなど、要所で出番がある。
松倉勝家(鳳月杏)
肥前島原藩の藩主で、父の代から続く圧政のため島原の乱が起こった。島原城を大きく立派にするために本来4万石であるはずの石高を10万石と申告し圧政を敷いた。またキリシタンを厳しく弾圧した。島原の乱後は原因となったことや初動の遅れなどをとがめられ、通常は情けをかけられて切腹となるところだが、大名としては江戸時代通じて唯一、斬首となった。
公演でも史実同様の圧政と弾圧で島原の乱の直接の原因を作った。演じた鳳月杏も「どうしようもない悪人」と言うほど、いいところはない。流雨を城に連れて行こうとしていたが、史実でも年貢が納められない農家の女子供を人質に取っており、無残な殺され方をした者もいた。
寺沢堅高
肥前唐津藩の藩主で飛び地である天草も治めた。松倉勝家と同じく父の代から続く圧政を繰り返し、島原の乱の原因となった。
公演では松倉勝家のセリフの中に出てくるのみ。
有馬直純
松倉氏の前の肥前島原藩主。キリシタンだったが、江戸幕府の禁教令に従って改宗しキリシタンを迫害する。キリシタンだった異母弟を殺害したことで良心の呵責に堪えかねて日向延岡藩に移ることになった。
公演では松島源之丞(和海しょう)の元主君としてセリフの中に出てくるのみ。
益田甚兵衛(一樹千尋)
天草四郎の父とされる。島原の乱の首謀者のひとり。戦国武将・小西行長の元家臣。関ヶ原の敗戦のあと農民になる。原城で戦死したと思われる。
公演では遭難した夜叉王丸を温かく迎え、益田四郎時貞と命名して我が子として育てる。
小西行長
豊臣秀吉の部下。唐入りでの朝鮮半島や関ヶ原の戦いで活躍するが、石田三成らと斬首にされた。
有馬直純同様にキリシタン大名として肥前国を治めたため、島原や天草にキリシタンが多い。
公演では、小西行長が隠したとされる宝を夜叉王丸が狙っていたり、益田甚兵衛や渡辺小左衛門(瀬戸かずや)らが元家臣であることから、名前だけは度々登場する。
観劇して
柚香光演じる山田右衛門作(リノ)が史実とは違い、最後まで一揆軍を裏切らなかった演出が良かった。明日海りお演じる天草四郎が、リノを送り出すところなどはサヨナラ公演かと思わせるところがあったので、サヨナラ公演でなくて本当に良かったと思っている。
ショーも含めて瀬戸かずやさんと水美舞斗さんの存在感が光っていて、登場すると舞台が引き締まる。それにしても、明日海りおさんは段違い。視線が吸い込まれるような気がした。
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