ディズニー映画「シンデレラ」にみる傷つけない言葉の使い方

2015年8月30日

実写版のシンデレラはきっとディズニーの持てる力を全て注いだのではないかと思うのです。
なぜなら、ディズニー映画にはシンデレラ城が付き物ですから。
理由はそれだけではないのですが、実写版のシンデレラを観ました。
そして日本語の使い方がすばらしかったのでご紹介します。

Photo by Amazon

劇場の関係で日本語吹替え版を観ることになってしまいました。
が、ナレーションがフェアリー・ゴッドマザーこと朴璐美さんだったので、すんなりと入り込めました。
そのナレーションや物語の流れがディズニーらしさ、というか、誰もが楽しめて傷付かないことの証明でもありました。

活気を持ち込もうとする

シンデレラに登場する、いわば悪役といえる役回りなのは継母とその2人の娘たちです。
当然ながらシンデレラには冷たく当たるどころか、ひどい仕打ちを繰り返します。
しかしながら、ナレーションでのトーンはとても柔らかいものです。

まず、森の奥にあるシンデレラ(と父)の屋敷はレトロ感満載で、都会からきた継母らにとってはさびしいものでした。
そこで、友人たちを呼びパーティを開きます。
映像で見る限りギャンブルパーティです。

どこの国でもギャンブルは悪に描かれてしまうことが多いのですが、このギャンブルを持ち込んだことに対しての表現が「屋敷に活気を持ち込もうとした」というものでした。
さすがにそれはどうだろうか、と思いたいところです。
でもよく考えてみると「連日賭博を開いて遊びまくった」なんて言われると、「どんだけ悪いねん!」となりますよね。
「活気を持ち込む」と表現することで、あとから語られることになる、継母の想いに繋がるのです。

継母は快活な女性

そもそもギャンブル、もとい活気を持ち込もうとした理由は、継母が「快活な」女性だからなのです。
決してシンデレラが嫌いなわけではなく、いわば「田舎の空気」が嫌いなのでしょう。
と、思わせるのが「快活な」という表現。

彼女らはシンデレラをいじめに来たわけではなく、安寧な生活と自分たちの身の保障を求めてきたのです。
なので継母を悪女、と見るのはここでは筋違いで、あくまでもシンデレラとはそりが合わなかっただけだと思うことができるのです。

物語の後半、継母自身が語りますが、実際彼女は幸福とはいえない人生を歩んでいます。
それは愛情溢れる人生を歩んできたシンデレラにはわからないものです。
それでも「快活」と表現できるほど、彼女は努力して幸福をつかもうとしたのだとわかります。

不必要に死を与えない

物語の前半でシンデレラは実母と父を失います。
これは物語上避けられないものです。
ただし、これ以外にいかなる状況であっても登場人物が死ぬことも、そして「殺される」ということもありません。
これはとても安心して観ていられる設定です。

最近は映画に限らず人が死にすぎます。
全てのディズニー映画がそうとは限りませんが、やはりバタバタ人が死んでいく映画を、全ての人が安心して観られるはずがありません。

まとめ

悪役に対して悪い、と表現しないのはなかなか難しいことです。
それを突き通した「シンデレラ」はさすがの一言。
エンターテインメントを提供し続けたディズニーの妙といえるのかもしれませんね。

ストーリーラインを読んでもらうより、ぜひとも観ていただきたいので余計なことは割愛します。
それにしても誰も傷つけないシンデレラの表現方法には学ぶべきものがあります。
ディズニーが万人受けするのはこういうところにもあるのかもしれませんね。

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