時間にルーズなどではなく、本当に時間におおらかなのだ

2014年12月26日

キリスト教徒ではないのですが、現法王の言葉がいちいち身にしみるPecorinoです。こんばんは。

イタリアですぐに感じたのは、イタリア人は時間におおらかだなあ、ということ。これはちょっと嫌みを含んでいます。
ただ、しばらく現地にいると彼らはルーズなどではなく、本当におおらかなのだということがわかります。

現地では19時開店、といえば19時に準備開始♪というのがよくある。なので、たとえ19時に予約を入れていても、「開いてるでしょ。座って準備できるの待っててね」なんですね。
でも確かに閉まってるわけではないし、文句を言える雰囲気ではないのですよ。

ユーロスターやら飛行機やらの交通機関はもっとすごい。前の飛行機が飛ばないから搭乗口が変わります、なんて日常茶飯事。ユーロスターでさえも、牛が線路で寝てるから牛がどくのを待つ、なんてこともあるらしいですよ。僕は幸いそういうことには遭遇しませんでしたが。

そんなこんなで、バチカンに行ったときもちょうど前日に現法王が決まったこともあって、システィーナ礼拝堂はクローズ。で、片付けが終わるのはいつかわからないし、そもそも観光施設の前に宗教施設なのでゆっくり片付けさせて、みたいな感じでした。

街中に古代から残る遺跡がごろごろあって、地面を掘ると遺跡が出てくるから地下鉄もろくに伸ばせないところ。彼らはそんな悠久の町で生きてきた。だから、1分1秒で文句を言うのは野暮なのですね。日本に帰ってもイタリア気分で仕事がしたいな、とすっかりイタリア好きになったのでした。
それからは時間にごちゃごちゃ言うことも減ったかもしれないです。

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