【名古屋市・八幡園遊郭跡】建物を見ながら保存方法を考える
かつて京街道にあった桜新地を歩いてみて「文化財に!」などと言ってみたものの、他の地域で遊郭跡がどうなっているのか、あまり知らなかったので、愛知県名古屋市にある八幡園遊郭跡を歩いてきました。

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尾頭橋はどんなところ?

今回、八幡園遊郭跡を選んだのは行きやすかったというだけで、他に理由はありません。なにしろ名古屋駅からJR東海道線で一駅、尾頭橋駅から5分も歩けば到着します。
それにしても名古屋の地下街・エスカのこれは、品位が問われますね。キャッチコピーの「吸引力」ということでこんなことになっているようですが。

本題に戻って尾頭橋といえばJRA日本中央競馬会の場外馬券場です。八幡園遊郭は駅からの経路から少し外れていますので、競馬目的の人がウロウロすることはあまりないようです。

JRで名古屋駅を出ると、少しの間進行方向右から新幹線、中央線、東海道線、名鉄線が並行して走ります。新幹線が離れると中央線が東海道線と名鉄線をくぐって一番左側に出ます。名鉄線をJRが挟む格好です。

写真のとおり、中央線には尾頭橋駅はありません。個人的には中央線の交差が好きで、わざわざ乗ってでもこの交差を経験したくなったところです。
八幡園遊郭跡を歩く
それにしても名古屋にもずいぶんお世話になりましたが、市内に遊郭が4つもあったとは調べてみないとわからないものです。とはいえ八幡園遊郭も、下調べのときには象徴的な建物とされていたものがすでになくなっていたりして、老朽化は確実に進んでいるようです。
八幡園遊郭は、現在の尾頭橋公園を中心に広がっていたようで、公園からもずらりと並んだ旧遊郭が見られます。

今はもう営業されておらず、自販機が並ぶだけになった金鈴商店。自販機を挟むショーケースが印象的です。今となっては、主張が真反対の政党ポスターと尾頭橋周辺にやたら貼られている探偵事務所ポスターばかりが目に付きます。

隣は民家となっていますが、立派な正面玄関です。

公園入り口から見て奥の2つの建物。左の洋風の建物は現在介護施設になっていました。

右側の和風の建物は、当時の雰囲気そのままで今からでも営業再開できそう。

それにしても奥行きがかなりあって、八幡園遊郭では最大規模ではないかと思うほど。

当時最大だったかは昔の地図でも見ない限りわかりません。なぜならなくなった建物があることと、もう1つ気づいたことがあったからです。それはまた後ほど。
尾頭橋駅から尾頭橋公園に向かう途中には、遊郭に欠かせない銭湯がありました。八幡の名前を残しているのはもうここぐらいでしょうか。

遊郭の看板が掲げられたままの建物も多かったのですが、やはりマンションになっていたり、下調べでは存在した建物のように取り壊されてしまったものも多いようですね。
なぜか隣は駐車場
歩いていて気がついたのは、遊郭だったであろう建物の隣が駐車場であるところが多いことでした。

ショーケースが印象的だった金鈴商店も隣は駐車場。連絡先も金鈴商店だったので、金鈴商店の敷地に間違いありません。
そしてもう一つ、建物がぶった切られているのです。

ここから想像できるのは、遊郭の営業が終わってしまったあとも住み続けた持ち主が、巨大な建物を持て余してぶった切る。そして更地にして駐車場にした、ということです。

写真を見返してみると、大阪の桜新地後でもぶった切り物件はあり、別の住宅として再利用されていました。
最近まで営業していた京都の五條楽園は、観光に好立地ということもあり、民泊などの宿泊施設として生まれ変わっているようです。
しかしながら名古屋市の尾頭橋という土地柄なのか、なかなかそういった利用は難しく、駐車場としての利用が有意義な土地利用だったのでしょう。
象徴的といわれていた建物も取り壊され、公的に保護される気配もなく廃れていくのは八幡園遊郭跡も同じこと。住む人がいなくなれば簡単に取り壊されてしまいそうです。
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