桜新地(枚方市)を文化財に ~遊郭跡地は黒歴史ではない~
枚方市はかつての京街道周辺を歴史地区として売っていきたいようですが、その京街道にあった桜新地は歴史遺産として残すべきであると提案します。

桜新地跡を歩く
高校まで枚方に、大学は隣の寝屋川市に通学した者として、つい最近まで枚方に遊郭があったということを全く知らなかったのは恥ずべきことでした。しかも学生の頃にたまに行っていた「桜湯」(現在は建物すらない)が遊郭跡地にあり、遊郭には定番の銭湯だったとは。
遊郭跡ではないかと気が付いたのは冒頭の写真。現在は水路ですが、ここにかかる「桜新地橋」が文献以外で恐らく唯一残る活字での痕跡です。そして歩いてみると今でも遊郭だった建物がそこここに残っていました。

特にこの建物は周囲に比べて特異で、昔から通るたびに異質な雰囲気を感じていました。にもかかわらず気が付かなかったとは、本当に不覚でした。

2019年7月、久しぶりに歩いてみたところ、ちょうど解体作業が行われていました。2018年の大阪北部地震の影響なのか、そもそも古い建物だったせいなのかはわかりませんが、もう見られなくなってしまいました。

こちらも現在は旅館としての営業はしていませんが、なんだか風情を感じます。
この建物は大阪北部地震の影響で瓦屋根ではなくなっていました。2019年7月現在、建物自体は残っています。
格子状の窓がある独特の雰囲気はかつての風情を物語ります。

2019年7月、このあたりも建物は残っているものの、大きな賃貸マンションの建設が行われたりと、徐々に景観かわりつつあります。

こちらはかの有名な枚方発祥の一大企業の創業者のご実家だそうです。
※なお、これらは僕自身がそうではないかと思っているだけで確信があるわけではありません。
桜新地跡を文化財に
年月とは残酷なもので、冒頭の「桜湯」は少なくとも20年前までは現役でした。しかしながら今は一般住宅となり痕跡すらありません。ほかにも代表的な建物は賃貸住宅になってしまったということも書かれていました。
ほんの少し離れた鍵屋は現在も資料館として、文化財となり歴史を発信していますが、その陰で桜新地は黒歴史として葬り去られようとしている、ように思います。
しかしながら、遊郭跡は断じて黒歴史ではありません。人々が懸命に生きた証としてきっちり残し未来に継承していくべきなのです。
大河ドラマ「西郷どん」では品川宿が度々歴史を動かした舞台として登場します。今はその面影はありませんが展示施設にはしっかりその存在が示され、品川宿を舞台とした「幕末太陽傳」はフィクションながらも当時の風俗や懸命に生きた人々がしっかりと描かれています。
桜新地には幕末の志士が滞在したと思えない、などという声が聞こえるかもしれません。では有名人が滞在したから記録に残すのか、といえばそうではないはずです。残された資料を精査した結果有名人が滞在していたということではないのでしょうか。
ちなみに京街道枚方宿は紀伊徳川家が江戸へ向かう際に通過する宿場町でした。
遊郭なんて悲劇しかないだろう、というのであれば、なおさら未来への教訓として残しておくべきではないでしょうか。今の住民のことを考えるのであれば、陰口のようにうわさが広がるよりいっそ最初から大きな声で言っておく方がよかったと思うのですが、いかがでしょうか。
まとめ
そもそも遊郭自体を黒歴史として抹殺する、もしくは見ぬふりをして黙殺しようということ自体が間違っています。人々が懸命に生きた記録として残しておくべきです。
2019年7月に歩いたところ、大阪北部地震の影響もあってか建物の存続が危ぶまれるものもありました。いよいよ終焉に向かっていくのでしょうか。