魏志倭人伝には何が書かれている – 三国志から読み解く倭国と邪馬台国と卑弥呼

2016年2月18日

卑弥呼が最初に登場するのは、三少帝紀 第四 斉王紀。
「冬十二月、倭国の女王俾弥呼が使者を派遣しささげものを献上した」という243年の記述です。
紀伝体の紀の部分は、その人物の在位中に起こったことも書かれています。
この場合、斉王は曹操から数えて4代目の曹芳ですから、曹芳在位時の出来事として書かれています。

三角縁神獣鏡も邪馬台国の位置特定の手がかりとされています
三角縁神獣鏡も邪馬台国の位置特定の手がかりとされています

これ以降で倭国が書かれるのは、いわゆる魏志倭人伝の部分になります。
今回はこの部分に何が書かれているのかを見ていきます。
プロローグをお読みになる方はこちらから。

何が書かれているのか

東夷伝での倭については、地理情報、民族情報、風俗、支配体制、簡単な歴史的経緯が書かれています。
現在最も議論される部分は、おそらく地理情報。
特に邪馬台国の場所です。
実はこれについてもおおよその場所が特定できます。
先に宣言しておくと、今回は場所に関する謎解きはしません。

内容は事実らしきことが淡々と書かれています。
一夫多妻制であることや、女性にたいしては好印象だったような記述も見られます。
ただし中華思想満開のため、日本人にとっては失礼な表現も見られます。

風俗に関しては、ちゃんとした家に住んでいる、なんて書かれてますからね。
まるで、これほど辺境の蛮族なのにちゃんとした家に住んでたのか!という驚きが聞こえてくるようです。

食べ物についても、生姜やみかん、山椒、みょうがが生えるが美味しいことを知らない、だそうですよ。
宝の持ち腐れ、と言いたいようですね。

ここで表明しておきたい。
日本史の試験で『正答』として「卑弥呼」や「邪馬台国」と書かせるのはおかしいでしょう。
あくまで中国歴代王朝公認の歴史書に「卑弥呼」とあるだけですよ。
日本人は自分たちのかつての指導者にこんな失礼な当て字をされていいんですか?
それを『正しい答え』としていいんですか?

話がそれてしまいましたが、今さら作者に文句を言っても仕方がないのです。
これこそ中華思想なんですから。
それでも「卑弥呼」を『正答』としてはいけませんよ、絶対に。

翻訳の内容をそのまま書くわけにもいかないので、今回はいったんここまで。
次回からは個別に読み取っていくことにします。

まとめ

  • 卑(俾)弥呼の最初の登場は魏書 三少帝紀 第四 斉王紀
  • いわゆる魏志倭人伝には地理、歴史、風俗、環境などを知ることができる
  • 「卑弥呼」や「邪馬台国」は人間扱いされていない失礼な当て字

それでは次回もお楽しみに。

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