倭、倭人とは何か – 三国志から読み解く倭国と邪馬台国と卑弥呼

2016年2月26日

前回は魏書東夷伝にどんなことが書かれていたのかを、かいつまんで紹介しました。
今回はそもそも倭、倭人とは何かを読み解いてみます。

漢委奴国王印のレプリカ。魏書以前にも倭の表記は登場する
漢委奴国王印のレプリカ。魏書以前にも倭の表記は登場する

魏書以前の倭

倭という表現自体は魏書以前にも出てきます。
有名なのは漢書地理志や、後漢書東夷伝と金印「漢委奴国王」など。

漢書地理志にはこうあります。
「楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国と為す。歳時を以って来たりて献見すると言う」
楽浪郡から海を渡った先に倭人が住んでいて、百余国に分かれてるよ、という感じでよいでしょう。
このとき、倭人の国は百余国あったということになります。

また後漢書東夷伝にも同様の記述があります。
これは後漢書が書かれた年代から考えて、漢書や魏書を参考に書かれていると思われます。
後漢書は金印の記述があるために捨て置くことはできません。
ですが、あまり信用しすぎないほうが良いようです。
金印については、「委奴国」と読めないこともないですが、委は倭の略字と考えるのが妥当のようです。

倭以外にも倭人がいる

さて、漢から魏へと時代が下って、魏書東夷伝を見てみます。
倭については「倭人は」で始まりやはり「百余国」とあります。
どうやら漢代と大きく変わってはいないようです。
そして「倭に行くには」として、地理的な説明が続きます。
ポイントは「狗奴国があり男子が王」「女王の支配を受けない」です。

これは倭人の中には女王に支配されていない倭人もいる、ということになります。
「倭の女王卑弥呼は狗奴国の王である卑弥弓呼と不和」ともあるので、やはり狗奴国は倭ではないことになります。
このことから、このあとにも「同じ種族」とあるので、倭人とは倭を含めたその一体の種族を指すようです。

さらに倭は、邪馬台国を中心とした女王が支配する国、もしくは地域を指していることがわかります。
そして「国々が共同して一人の女子を王にした」というところから、倭が連合国家だったことが伺えます。

卑弥呼は邪馬台国の女王ではない?

この「国々が共同して一人の女子を王にした」の一文と「女王がいる邪馬台国」という表現から、卑弥呼が邪馬台国の女王ではない可能性、というか邪馬台国の女王でなくても良いことになります。
なぜなら邪馬台国は倭の中心であり、あくまで女王がいる国と読めるからです。

むりやり例えるなら、山口県で当選した国会議員が総理大臣として東京都にいる、という感じ。
なので卑弥呼も別の国から選ばれて、邪馬台国にいただけ。
もしくは邪馬台国の女王である卑弥呼が倭の女王になったか。
確実なのは、倭の女王である卑弥呼が邪馬台国にいた、ということです。

文中には「女王国」という表記が出てきますが、文脈から邪馬台国を指すように読めます。
流れから考えて邪馬台国の女王卑弥呼が、倭の女王になったと考えるのが良さそうです。
卑弥呼が倭の女王になったあとの邪馬台国の王が誰かははっきり書かれてはいません。

まとめ

  • 倭人=倭に住む人ではなく、倭に従わない勢力もいた。
  • 倭は邪馬台国を中心とした連合国家。
  • 卑弥呼は邪馬台国の女王の後、倭の女王となったのではないか。

次回もお楽しみに。

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