卑弥呼ってどんな人? – 三国志から読み解く倭国と邪馬台国と卑弥呼
前回は卑弥呼が親魏倭王となったことについてでした。
今回はそもそも卑弥呼とはどんな人だったのか、です。
卑弥呼(ヒミコ)ってどんな人?
このシリーズの早い段階で書きましたが、僕としてはこの漢字は嫌いです。
このような虐げられた名前を、正答とする試験など破って捨ててやりたいぐらいです。
官職(役割)…
倭国王、もしくは倭の女王。親魏倭王。
必ずしも邪馬台国の女王と言えないということはすでに書いたとおりです。
性別…
もちろん女。
年齢(没年齢)…
高齢という記載はあるが具体的なところは不明。
家族…
弟。配偶者はいないため子もいない。
政治システム…
鬼道を用いて人々を導いていました。
そもそも卑弥呼と直接接する人が極端に少ないため、魏の使者が気味悪がって鬼道と呼んだと思われます。
宮から出ず、命令などは弟を通じて行っていて、食事ですらも弟が運んでいたようです。
親魏倭王の称号は、倭国以外の倭人(狗奴国)への牽制として利用していたと思われます。
鏡などの魏からの賜りものは、鬼道を用いる際の道具とした可能性もあります。
またヒミコとは、本来は日巫女や日御子、日神子とも考えられます。
この場合、太陽を鬼道に利用していたことが有力になり、鏡を使えば効果絶大だったことでしょう。
死因について…
「以って死す」とされるのみで、具体的なことはわかりません。
それ故に暗殺説など様々なことが考えられています。
何があったとしても、宮から出ない王なので誰にもわからないのが実情ではないでしょうか。
記述から読み取れるのは、狗奴国との戦いが不利に進んでいたこと。
その後、卑弥呼が亡くなったこと、それだけです。
求心力を失って暗殺されたのかもしれません。
三国志でよく出てくる負けたことで憤死するということも考えられます。
誰も知らぬまま何らかの病気が進行していたのかもしれません。
全ては想像するしかありません。
現在は遺体が特定されればある程度死因がわかるようですから、そのあたりを期待するしかなさそうです。
まとめ
- ほとんど人前に姿を現すことがなかった。
- シャーマンとして倭国内を仕切った。
- 死因には諸説あるが、確実な証拠はまだない。