董卓の天下獲りはタイミングが命 三国志演義第3話

2017年12月12日

何進は袁紹の進言に従って地方の豪族を呼び集めることにした。西涼の董卓は黄巾賊討伐の失敗を宦官に取り入ることで見逃してもらい故郷に帰っていた。そこへ何進からの召集があり天下を狙う野心を燃やしていた。

董卓の天下獲りはタイミングが命 三国志演義第3話
董卓の天下獲りはタイミングが命 三国志演義第3話

あらすじ

一方、十常侍は何進が地方豪族を呼び集めて宦官を一掃しようとしていることに気が付いていた。彼らは何進の妹である何太后を通じて、適当な理由を付けて何進を呼び出していた。袁紹や曹操の引き留めにもかかわらず呼び出しに応じた何進は、諸将を門の前で待たせたまま禁裏に入り待ち構えていた十常侍に殺されてしまいます。何進殺害がわかると、袁紹、袁術、曹操らは禁裏へ殺到。宦官らは次々と殺されていった。

混乱の中、十常侍の張譲と段珪は皇帝(のちの少帝)と陳留王(のちの献帝)を連れて逃走。張譲らは途中で殺され、皇帝と陳留王は一晩路頭に迷った。その後袁紹らに保護され、途中で大軍をもって合流した董卓によって都へ戻った。陳留王にとっては今後を予感させる出来事になった。

董卓は何進の兵を自分のものとして都に居座り権力を握った。そして皇帝の廃位と陳留王の即位を画策し、反対する丁原を呂布に殺害させ、呂布を陣営に迎えると怖いもの知らずとなった。そしてついに皇帝の廃位と陳留王の即位を強引に決めようとするのだった。

主な登場人物

  • 何進

大将軍。優柔不断で詰めが甘く、宦官らに殺されてしまう。

  • 袁紹

わざわざ董卓を呼び寄せてみたり、目の前で何進が殺されてしまったりと優柔不断ぶりは何進に負けず劣らず。このときはまだ若手有望株といった段階で、政権への影響力があまりない状態であっさり董卓に権力を持って行かれた。

  • 十常侍

皇帝や皇太后に取り入り実権を握る9人の宦官。元は10人。何進の殺害に成功したもののその後のことを考えていなかったのか袁紹らに皆殺しにされる。張譲、段珪は皇帝と陳留王をさらって逃げたが、張譲は川へ飛び込んで、段珪は追っ手に殺された。

  • 何苗

何進の弟。十常侍と内通していたために宦官といっしょに肉泥になるまでズタズタにされる。

  • 董卓

何進に召集されてやってきた西涼の刺史。大軍勢で皇帝を助けたことに便乗して権力を握ることに成功する。

  • 李儒

董卓の娘婿で参謀。読み進める限り、董卓は彼の言うことには従うらしい。

  • 丁原

呂布の義父。董卓の皇帝廃立に反対し軍勢を動員するが、頼みの呂布に裏切られてしまう。その首は董卓への手土産になった。

  • 呂布

丁原の義理の息子であり、三国志演義最強の武将。丁原が董卓に対抗できるのは彼が手元にいたから。名馬「赤兎」を送られたことで董卓に寝返り息子となる。ここから呂布の裏切り人生が始まる。

  • 李粛

董卓の部下。呂布と同郷で年上のため兄貴分にあたる。呂布を説得し裏切らせた。

なぜ董卓は権力を握ることができたか

過去(といってもまだ第3回ですが)を見ても、董卓は戦上手とはいえません。そのうえ、武功を立てて出世街道を歩んだわけではありません。ではなぜ短期間の間に軍事と政治、両方の権力を握ることができたのでしょうか。

まず、董卓は演義でも正史でもそれほど大きな戦功があったわけではありません。そのせいか、免官と登用の繰り返しで漢王朝に嫌気がさしたのかもしれません。中国の北方である西涼は異民族の侵入がよくあったのは万里の長城が物語っていますが、後漢末も同じことで董卓は北の異民族との戦いに接していました。このころ戦績がそれほどでもなかったのは、まじめに戦わずに力をため込んでいたのではないかという説もあります。

そんな中、何進が各地に送った召集が届きます。董卓は野心を持っていたこともあったのか、それまでは全く動かなかったのに今回ばかりは素早く行動を起こしています。この素早い行動が皇帝と陳留王を助けるという思わぬ成果を生みます。これは董卓も予想外だったことでしょう。また、軍事権を握る大将軍・何進が十常侍に、政権を裏で動かしていた十常侍を袁紹ら軍閥がそれぞれ除かれてしまいます。このとき袁紹や曹操といったのちに英雄となる軍閥たちはまだ若手の注目株といった段階。三公といった位の高いポストは彼らより上の世代が占めていました。地方からやってきた董卓にとっては軍事と政治の両方を一気に握る土壌が勝手に出来上がっていたことになります。

このポストを巡る状況を把握できていた董卓は、自身の子飼いを重要ポストに就けずこの時期に重要視すべき名士と呼ばれる人たちを重要ポストに就けています。多くは辞退しているようですが、袁隗(袁紹の叔父)などは重用されていました。中でも蔡邕は脅されてポストについたものの、董卓政権下で自由に研究を進められたことから、董卓死後は一人嘆き悲しんでいます。

董卓の横暴ぶりは第4話以降で語られることになりますが、少なくとも初期の董卓は「良い」政治を目指していたのかもしれません。とはいえ、名士の信頼を得られなかったことに絶望したのか、わずか1年も待たずに暴走してしまうのです。

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