なぜ描かれない?華雄はどのように討たれたのか? 三国志演義第5話

2018年11月26日

曹操の残酷な行いに失望し寝ているところを殺そうとした陳宮は、思うところあって曹操を見逃した。一人になった曹操は故郷に戻り軍勢を集めるのだった。

なぜ描かれない?華雄はどのように討たれたのか? 三国志演義第5話
なぜ描かれない?華雄はどのように討たれたのか? 三国志演義第5話

あらすじ

曹操の「打倒董卓」の手紙に応じた袁紹は、さらに各地の英雄と合流。総勢18もの大軍団となった。反董卓の軍勢に参加した公孫瓚のもとには途中で合流した劉備・関羽・張飛もいた。彼らは袁紹をトップとして孫堅を先鋒として、董卓のいる洛陽へと向かった。董卓は華雄に途中の汜水関を守らせ応戦し、孫堅と激突した。孫堅は緒戦に勝利したものの、嫉妬心にかられた袁術が兵糧を送らなかったこともあり敗退した。

諸侯は一騎打ちに出た華雄を討ちあぐねていたが、颯爽登場した関羽が華雄を討ち取った。これに慌てた董卓は、汜水関を固く守らせたうえでとうとう呂布を戦線である虎牢関に送り込んだ。

反董卓連合軍も曹操、公孫瓚ら8軍団を虎牢関に投入した。三国志上最強の武将である呂布に対し、何もできない連合軍だったが、劉備・関羽・張飛の活躍で呂布を虎牢関へ撤退させた。

劉備らは勢いにまかせて虎牢関に攻めかかった。

主な登場人物

・曹操

陳宮と別れて故郷に戻り、軍を編成し旗揚げした。軍団のトップに袁紹を推薦した。また華雄の相手に関羽が名乗りを挙げた際には袁術の反対を押し切り出陣させた。その後も何かと劉備らを気にかけている。

・袁紹

渤海郡の太守。曹操の挙兵とともに挙兵し合流、軍団のトップとなる。誰もが華雄に苦戦する中、顔良と文醜を連れてこなかったことを後悔した。華雄を破ったものの、守りを固めた汜水関をあきらめ虎牢関に8軍団を投入した。

・袁術

後将軍、南陽郡の太守。袁紹の従兄弟。反董卓軍の兵糧の管理を任されるが、孫堅の今後の躍進を心配し兵糧を送らなかった。華雄に苦戦する中、官職にこだわり関羽や張飛を蔑んだ。

・公孫瓚

劉備を連れて反董卓軍へ合流した。呂布と一騎打ちを挑むが敗れて殺されそうになるところを張飛に助けられる。

・劉備

三国志演義前半の主人公。公孫瓚に従って反董卓軍に合流、皇室のゆかりであることから席を与えられる。呂布との戦いでは張飛、関羽に加勢したが勝負がつかなかった。

・董卓

袁紹らの挙兵を受けて、まずは華雄を汜水関へ送りこんだ。華雄が討たれたあとは、李傕・郭汜に汜水関の守りを固めさせる一方、呂布を虎牢関へ送り込んだ。

・華雄

董卓軍の武将。緒戦には敗れたものの、孫堅を撃破。袁術配下の兪渉、韓馥配下の潘鳳を一騎打ちで倒すも関羽に倒された。

・孫堅

長沙郡の太守。反董卓軍の先陣となり緒戦に勝ったものの、袁術が兵糧を送らなかったために敗れた。

・祖茂

孫堅の部将。華雄に敗れた孫堅を逃がすためにおとりになって殺された。

・関羽

劉備の義兄弟。華雄を打ち取ったときには、曹操から与えられた酒がまだ温かかった。張飛に続いて呂布に挑んだが勝負がつかなかった。

・呂布

董卓の側近中の側近で三国志最強の武将。王匡配下の方悦、張楊配下の穆順、孔融配下の武安国を次々に破り、公孫瓚を打ち取ろうとした。張飛、関羽、劉備の三人を相手に勝負がつかなかったが疲れて撤退した。

・張飛

劉備の義兄弟。関羽が華雄を打ち取った際には総攻撃を叫んだが、袁術に一喝される。公孫瓚を救うために呂布に勝負を挑んだが決着はつかなかった。

描かれない関羽VS華雄

三国志屈指の豪傑・関羽と董卓軍屈指の武将・華雄の一騎打ちはとても珍しい構図で描かれている。ここまで華雄と諸将との一騎打ちは実際のシーンが描かれていた。しかしながら関羽との一騎打ちは、馬にまたがり出ていった関羽を諸将が耳を立てて外をうかがう様子から、華雄を打ち取った関羽が戻るシーンで描かれる。

つまり、関羽がどのように華雄を打ち取ったのかが描かれていないのだ。こういった描写はあとにも先にもなく、この時点で主人公の一角である関羽の活躍シーンが見られないエピソードとなっている。

中国ドラマ「三国演義」でも、幕外に走り去る後ろ姿、湯気がただよう酒、そして湧き上がる歓声とともに駆け戻る関羽、という描き方をしており、やはり関羽と華雄の描写はない。

これは正史では孫堅に討たれた華雄を、無理やり関羽に討たせたことで詳細に描けなかったのかもしれない。しかしこのあとの呂布vs三兄弟は正史にはないが事細かに描かれているので何か複雑な事情があったのか、思い切った演出だったのか。

理由はともかく、見せ場を一切描かない斬新な演出になっている。

汜水関と虎牢関

汜水関とその周辺。左が洛陽。さらに左にこの後董卓が遷都する西安(長安)。右下が後に曹操が拠点を置く許昌がある。

この5話では脚色された部分がかなりあるが、反董卓連合軍の構成については次に譲ることとして、ここでは正史での陽人の戦いと演義での虎牢関の戦いに触れておく。

虎牢関の戦い

演義では連合軍に備えるため、董卓は汜水関と虎牢関に兵を送り込んでいる。しかしそもそも汜水関と虎牢関は同じ場所であり、時代とともに呼び名が増えただけである。

防衛に適していたことから、後漢時代には要塞が置かれていただけのようであるが唐の時代に関所となり「虎牢関」となった。

北部の地理に詳しくないとはいえ、さすがに著者は虎牢関と汜水関が同じ場所であることはわかっていただろう。もともと連合軍にすら参戦していなかった劉備らの活躍を描くために、当時はなかった架空の場所で戦わせたのだろう。

陽人の戦い

一方で正史に描かれた陽人の戦いで活躍したのは孫堅である。

陽人の戦いを前に董卓の配下である徐栄に敗れた孫堅だったが、兵をまとめて陽人に陣取った。そこへ董卓配下の胡軫と呂布がやってきた。呂布は胡軫に反感を持っていて、胡軫を失敗させるためにうその情報を流して兵を疲れさせた。そして胡軫らは撤退しようとしたが、そこを孫堅に攻撃されて華雄が斬られた。

時期は不明だが、このころ孫堅の武勇を恐れた袁術が兵糧を送らなかったが、孫堅は自分で袁術を説得して陽人に兵糧を送らせた。

肝心なのはこの時の総大将となっているのは胡軫で、呂布も華雄もその下の立場だったこと。もともと呂布は新参者だったが、華雄もそれほど高い地位になかったと思われる。

すでに書いた通り演義では、孫堅が汜水関を攻め華雄の副将の胡軫を斬ったが、袁術からの兵糧が送られなかったことで華雄に敗れた、となっている。

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