あしたのジョーと吉原へのカーブを見に行く
西の西成、東の山谷といえば日本を代表するドヤ街として有名でしたが、今はどちらも雰囲気が変わっていて、激安の旅館も外国人観光客が増えているそうです。今回はせっかくなので安宿を確保し山谷から日本堤、吉原へと続くカーブを歩いてみました。
山谷であしたのジョーに出会う
南千住駅から南に向かうと、目の前(本当は結構遠い)に見える東京スカイツリーの方に向かって歩いていきます。しばらくすると日本堤交番が見えてきます。右に曲がると、かつてはアーケードがあった、いろは会商店街が見えてきます。
道路がタイル地になっているのですぐわかるのですが、歩いてみるとやっぱり寂しいものがあります。なにしろ商店が少ない。地方都市なら仕方がないところですが、東京ですからねえ。
朝から一杯飲んでるお父さんを横目に土手通りに出ると…いました、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈の等身大像。「あしたのジョー像」というそうです。そのまんまです。
地名・店名にしかない堤の名残
あしたのジョー像とさよならして、さらに南に向かうと、相当古いのではないかと思われる建物が見えてきます。128年続く老舗の天ぷら屋「土手の伊勢屋」です。
住所や店の名前でしかここが堤であったことがわからなくなってしまっているのが寂しいのですが、この土手の伊勢屋は江戸時代からの風景を見てきたのでしょう。
もうすぐそこに「吉原大門」の交差点が見えてきます。実際の吉原大門はここではなく、ここにあるのは「見返り柳」。
吉原で遊んだ客が後ろ髪をひかれて振り返るのがこのあたりだということから付いたのだそうです。今は振り向けば東京スカイツリーが見えます。かつての日本堤に沿うように柳の木が植えられていたそうです。
この交差点を右に曲がると、不自然なカーブがあります。
かつての“ラスベガス”吉原を見る
今でこそ縦横に道が走り塀も堀もないのですが、この道はかつて吉原へ行くための唯一の道「五十間道」で、日本堤から吉原が見えないように曲がっています。
道なりに進むと吉原大門が見えてきます。とはいえ、今は門らしきものもなく、ただ柱が立っているだけのように見えます。
すぐ隣には交番もあり、それなりの雰囲気がありますが、朝なので普通に散歩している地元のご老人や自転車を駆る女子高生もいて、なんとなく物々しい雰囲気だと思っていたのでちょっと拍子抜けです。おそらく眠狂四郎の読みすぎと思われます。
交番の隣の道を見てみると下り坂になっています。「お歯黒どぶ」と呼ばれる吉原と外の世界を分けていた堀があった名残です。マンションの敷地の端にはお歯黒どぶの石垣が残っています。
お歯黒どぶと高い塀で隔絶されていたせいで、吉原がこの場所に移ってきたときには周囲が田ばかりだったこともあり、まるでラスベガスのようだったことでしょう。江戸時代では日本でも吉原以上にお金が動く場所はそうそうなかったとか。
眠狂四郎を読みすぎたおかげで歩いてみたくなったのですが、日本堤から吉原大門までのカーブを実際に歩いてみたい方はぜひどうぞ。ちなみに夜に行っても暗くて見えないところが多いので楽しめないですし、「遊ぶ」ついでに見ようというのはオススメしません。
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