本当にあった?石田三成の徳川屋敷襲撃

2016年8月25日

「事あらば腰の刀で一刀のもとに斬るつもりである」。
豊臣秀吉の遺訓に叛く徳川家康に対する発言です。
『真田丸』視聴者なら、いかにも石田三成が言いそうだ、と思うことでしょう。
しかしながら、これを言ったのは前田利家でした。

本当にあった?石田三成の徳川屋敷襲撃
本当にあった?石田三成の徳川屋敷襲撃

大坂の前田と伏見の徳川

秀吉の死後、秀頼の後見となった利家は大坂へ。
一方、政務を任されることになった家康はは伏見に入ります。
これは豊富の政権内に大きな2つの勢力が生まれることになりました。

ここで家康は秀吉の遺言を無視し養子縁組を行って勢力拡大を図ります。
五奉行の一人である三成は早くから家康を警戒し暗殺計画まで立てたといいます。
そこにこの遺言に叛く行動に出たため、四大老と五奉行は詰問使を送ります。

そこでのやり取りは『真田丸』とほぼ同じ。
詰問使に対して「掟を忘れていただけ」「大老から外す陰謀か」となります。
結果的に原状をこじらせたくない五奉行側が謝罪し、事を収めます。
また家康も非を認めて謝罪し、利家に対して誓詞を出しています。

この状況から見ても豊臣政権下の勢力争いは、大坂の前田利家と伏見の徳川家康とで2大勢力が離れて存在したからだろうと思えます。

豊臣系大名、家康の警護をする

『真田丸』では三成の襲撃に備えて、大谷吉継まで家康の警護をしています。
さすがにここまでのことはありませんでしたが、四大老と五奉行の詰問使を迎えるにあたり豊臣系大名の警護がありました。

詰問使訪問の際には屋敷の防御を固めており、警護には加藤清正、福島正則らがいました。
もちろん「細川越中守忠興」はいましたが、「伊達越前守政宗」の名前は見えません。
なにしろ伊達越前守政宗は、詰問使訪問直後にあった三成主催の茶会に参加していたのですから。

ともかく『真田丸』と同様に、この一件で家康が自身を持ったのは間違いないでしょう。

利家、家康を訪問する

詰問使の訪問が五奉行側の謝罪に追い込まれたことで、利家は不信感を覚えます。
そして詰問使の訪問から1ヶ月後、利家が家康を訪問することになります。
このとき利家に訪問を勧めたのは細川越中守忠興らでした。

そこでの発言が冒頭のものです。

我らは家康に斬られに行くのである。家康が我らを斬った時は人数を出して弔い合戦をして勝利するのだ。もし家康に対面して事あらば腰の刀で一刀のもとに斬るつもりである」

「敗者から見た関ヶ原合戦」(三池純正)より

家康はその決意を見ぬいたのか機嫌よく、かつ手厚くもてなしました。
利家を無事に返した家康は、返礼に大坂へ出向きます。
すでに重病で回復の見込みがなかった利家は、息子を家康に託し和解。
しかし利家はこのときも布団の中に刀を隠し、家康を殺すつもりがあったそうです。

三成の家康襲撃計画は本当か?

では、三成は本当に家康を襲撃する計画を立てていなかったのでしょうか。

家康の侍医の記録『慶長年中板坂卜斎覚書』にはこんなことが書かれています。
1月19日の夜、三成が家康の伏見屋敷を襲撃するという噂が流れました。
家康屋敷は騒然となり、家康の重臣が江戸から駆けつけたそうです。

記録が正しければ、1月21日の詰問使訪問より前に襲撃の噂が流れたことになります。
こうみると『真田丸』とは順番が違いますね。
もちろんこれは単なる噂で終わりました。
しかしこのあと、利家が亡くなると家康はすぐに治部少丸の下にあった屋敷を対岸に移動させます。
これほどまでに警戒していたのです。

また家康が利家の大坂屋敷を訪問した際にも、三成ら五奉行は家康襲撃を計画。
しかし、家康は詫びを入れており大義名分が薄く、またさっさと伏見に帰ってしまったので実行されませんでした。

これ以外にも1月11日に何かがあったようで、家康が大坂から伏見への移動を警戒していたようです。

時系列に並べる

記録されたものを時系列で並べるとこうなります。

  1. 8月18日、豊臣秀吉病死
  2. 8月19日、石田三成が徳川家康暗殺を企む
  3. 12月、朝鮮半島からの撤兵が完了。三成、名護屋から伏見へ
  4. 1月11日、何らかの騒動があり家康が警戒して伏見に移動する
  5. 1月10日、豊臣秀頼、前田利家、大坂へ。家康、伏見へ
  6. 家康、大名たちとの政略結婚を進める
  7. 1月19日、三成が家康の伏見屋敷を襲撃する噂が流れる
  8. 1月21日、四大老、五奉行の詰問使が家康の伏見屋敷訪問。細川越中守忠興ら豊臣系大名が警護する
  9. 三成、大坂で茶会。伊達越前守政宗出席
  10. 2月29日、利家が家康を訪問する
  11. 3月11日、家康が利家を訪問。三成ら家康襲撃を計画
  12. 3月末? 利家病死

このあとは加藤清正らが三成を襲撃し、三成は騒ぎを起こしたとして謹慎します。
さて、『真田丸』ではどのように描かれるでしょうか。

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